「鉄をつくる」「セメントを流す」そんな言葉を聞くと、みなさんはどんな仕事を想像しますか?専門用語が飛び交って、数字や図面に向き合う……正直、そんな難しい世界を想像していました。けれど今回、そのイメージを大きく変える出会いがありました。私たちが訪ねたのは、北九州にある日鉄高炉セメント株式会社。そこで話してくれたのは、鉄やセメントだけの話ではなく、失敗から立ち上がる力、人を動かす工夫、組織を変える覚悟。ものづくりの現場には、思っていた以上に“人間らしいリアルなストーリー”が広がっていたのです。

100年以上の「発想の転換」から生まれた技術、高炉セメントとは?
高炉セメントって、聞いたことはあっても実際どんなものか全然イメージがつかなくて…。セメントは建築に使うものっていうのは分かるんですけど、「高炉」がつくとちょっと謎で。
そうですよね。学生さんからはよくそう言われます。簡単に言うと、鉄をつくるときに出てくる「高炉スラグ」っていう副産物を使ってつくられたセメントのことなんですよ。環境にもやさしくて、ちゃんと性能もいいんです。
副産物ってことはもともとは捨てられていたものなんですか?
もともとはいらないものとして扱われていました。でも、ある時「これ、石灰石と成分が似てるんじゃないか?」って気づいた人がいて、それならセメントに使えるかもって。それが高炉セメントの始まりなんです。
なるほど…その発想すごいですね。
発想の転換ですよね。今でこそ「環境配慮」とか「循環型社会」とか言われますけど、これはもう100年以上も前に生まれた技術なんです。
えっ、そんな前からあるんですか?てっきり最近の技術なのかと。
意外でしょ(笑)。うちのある北九州って、昔から製鉄の街でね。1901年に官営八幡製鐵所ができて、日本の鉄づくりが本格的に始まったんです。その頃から高炉スラグは出ていたし、今で言うアップサイクルの走りみたいなものですよ。
高炉セメントにもそんな歴史があるんですね。
そうなんです。実際、北九州市庁舎とかリバーウォーク、関門トンネルや戸畑バイパスみたいな公共のインフラにもたくさん使われていますよ。
えっ、そんなに身近なところにも?全然気づいてませんでした。
セメントって、構造物の中に隠れてしまうから、普段はあまり意識されないんですよね。でも実は、社会の“足元”を支えてる存在なんです。
たしかに、なくてはならないものですよね。
ええ。ちなみに、全国にはセメント会社が15社ほどありますが、高炉セメントを専門にやってるのは、うちだけなんですよ。
それは知りませんでした…!もっとたくさんあるのかと思ってました。
よくそう言われます(笑)。私たちはもともと日本製鉄の社内の一部門だったんですが、そこから分社化して、今は“高炉セメント専業”としてやっています。副産物に新しい価値を見出して、それを社会に役立てていく。この考え方には、私自身すごく誇りを持っています。
ただ“ものづくり”じゃなくて、ちゃんと社会に向き合ってる仕事なんだなって感じます。
そう言ってもらえると嬉しいですね。そして、高炉セメントは環境面でも大きな強みがあります。普通のセメントは、石灰石を焼くときにたくさんのCO₂が出てしまうんですが、高炉セメントはその石灰石の割合を減らせるんです。さらに、製造のための石炭も少なくて済むので、CO₂の排出をかなり抑えることができます。
すごい…エコでしかも実用的って、まさに今の時代にぴったりですね。
おっしゃる通りです。今は「カーボンニュートラル」っていうキーワードがあるように、環境にやさしい建設資材が求められています。そういう中で、あらためて高炉セメントが注目されているんですよ。
100年以上前の技術が、今また評価されるってすごくロマンがありますね。
そうなんですよ。昔の知恵が、時代を超えてもう一度光を当てられる。そういう“時を越えた価値”って、ものづくりの世界にはあるんです。それを発見するのが、また面白いんですよね。

「辞めたかった3年目」が変えたキャリアの原点
社長ご自身の若い頃って、やっぱり順調だったんですか?
いやいや、まったくそんなことないですよ(笑)。むしろ、入社して3年目くらいまでは、毎日「もう辞めたいなあ」って思ってました。
えっ、そんな時期があったんですか?
ありましたね。配属されたのが、操業の現場だったんですけど、そこで担当していた炉の調子がまったく良くならなくて。何をやっても結果が出ないし、テストを提案してもダメ出しされる。悔しいし、しんどいし、何より成果が出せない自分に自信が持てなかったですね。
それは……つらいですね。
そうそう。毎晩遅くまで残って、休日も出て、それでも結果が出ない。当時は本当に出口が見えなくて、「このままこの仕事を続けていて、自分は幸せになれるのか?」って、本気で悩んでました。
その状態で、どうして辞めなかったんですか?
実は一度、人事に「辞めたいです」って伝えたんですよ。人事申告書っていう年1回の自己申告書に、正直に「転職希望」って書いて出して。そしたら呼び出されて、「ちょっと話そうか」って、人事の方と3時間くらい話をしました。
3時間も……何を話したんですか?
「なんで辞めたいのか」「最近どうなのか」って、ただじっくり聞いてもらいました。で、最後にその方が「せっかく3年やってきたんだから、もう半年だけ頑張ってみないか」って言ってくれたんです。
その一言、心に響きますね。
僕もそのときは、「もうちょっとだけ頑張ってみようかな」って気持ちになって。そしたら不思議なことに、そこからいろんなことが動き始めたんです。
どんなふうにですか?
ずっと悩んでいた炉の不調について、自分なりに新しい仮説を立てて、テストを提案したんです。そしたら今度は上司が「面白そうだな、やってみよう」って言ってくれて。実際に試してみたら、それまでの不調が嘘みたいに調子が良くなったんです。
すごい…!それってもう、自分で道を切り拓いたってことですよね。
結果が出たときは、正直泣きそうになりました(笑)。「あ、やっててよかった」って心から思えた瞬間でしたね。それまでの3年間、つらかったけど、あの半年があったから乗り越えられたと思ってます。
なんか、「あと半年」って、魔法の言葉みたいですね。
ほんとにそう。あの時すぐ辞めてたら、今こうして皆さんとお話ししてる自分はいなかったと思います。
私たちも、今まさに就活で悩むことが多いので、その話すごく刺さります。
みんなそうやって悩みながら進んでいくもんですよ。だからこそ、しんどい時にすぐ答えが出なくても、「ちょっとだけ踏ん張ってみる」っていう選択肢も、頭の片隅に置いておいてほしいなと思いますね。
事故、そして“現場に立つ”という選択
さっきの「あと半年」のお話もそうでしたけど……社長って、本当に現場をずっと大事にされてる方だとお聞きしました。
そうですね。どこまでいっても、僕の原点は現場なんですよ。現場経験が長いので、これまで色々なことを経験しました。事故もね。
事故、ですか?
詳細は言えないんですが、でも、どんなに多くの事故を経験したとしても不思議と「もう現場には戻れない」とは思わなかったんです。
怖くなったりはしなかったんですか?
怖かったですよ。正直、現場に戻るのが怖くてたまらなかった。でも、それ以上に「自分は現場の人間だ」っていう思いが強かった。事故があっても、それでもやっぱり“あの場所”に立っていたかった。
それだけ、現場にこだわりがあったんですね。
そうですね。ものづくりの現場って、やっぱり“人が集まって、人が動かしている場所”なんです。だからこそ、そこでどう向き合うかが試される。逃げないで戻ったことで、ようやく“自分の仕事”になったような気がしました。
社員の皆さんにも、その思いは伝わったんでしょうか?
社員とは、対話や講演会、飲ミュケーションなどを通じて私の経験について話しています。「現場で働くってどういうことか」を一緒に考えています。現場で仕事をしていると“想定外”が必ずあるんです。だからこそ、日々の声かけとか、ちょっとした変化への気づきがすごく大事になる。
そういう姿勢が、今の社長としての仕事にもつながってるんですね。
そうかもしれません。若いときって、自分ひとりで何とかしようとしがちですけど、現場ってそうじゃないんですよ。チームで動いて、誰かが誰かを見て、支え合っている。だからこそ、人の気持ちとか、空気の変化に気づける人が、いちばん強いと思います。
事故を乗り越えた経験が、「現場主義」の原点になってるんですね。
ええ。だから僕、どこまでいっても、現場が好きなんですよ。

誰よりも動ける立場だからこそ、いちばん社員のそばへ
これまでのお話を聞いていて、社長って本当に「人や仕事と向き合う」ことを大切にされてるんだなって、すごく伝わってきました。
ありがとうございます。でもね、それに気づいたのは、実は転勤先でライン長になったときの経験が大きかったんですよ。
転勤ですか?
ええ。僕が赴任した初日に、歓迎会を開いてくれたんです。150人くらいの方が集まってくれて。その場で、何の前触れもなく「僕は全員の名前と顔を覚えます」って宣言しちゃいましてね。
えっ、その場でですか?
そうなんです。思わず言っちゃった(笑)。もちろん最初は、「またまた〜」って笑われました。でも言ったからにはやろうと決めて、そこから本気で覚え始めました。
実際にどうやって覚えたんですか?
社内の談話室で、毎週8人ずつ呼んで飲み会を開いたんです。1回1回、しっかり話して、顔と名前と性格を覚えて。気がついたら3年半で105回、延べ800人くらいと飲んでました。全部員で400人ぐらいいるんですが、全員との飲み会2周やったことになります。
すごい…!そこまでやる方はなかなかいないですよね。
そうかな(笑)。でもね、名前を呼ぶって、それだけで相手の心がふっと開くんですよ。「ちゃんと見てくれてるんだ」って思ってもらえる。それが、信頼の第一歩なんじゃないかなって。
たしかに、自分の名前を覚えてもらってたら、安心感ありますよね。
それって、“心理的安全性”って言葉に近いかもしれませんね。社員が安心して、自分の意見を出せる状態。ミスしても相談できる空気。それをつくるのが、社長である私の役割だと思っています。
でも、実際そこまで近づこうとする社長って、少ないような気がします。
たしかに、上に行くほど孤独になるとも言いますしね。でも僕は、社長って社内でいちばん自由に動ける立場なんだから、いちばん社員のために動くべきだと思ってるんです。
それが「従業員ファースト」っていう考え方なんですね。
そう。株主も大事だし、お客様ももちろん大切。でも、まずは社員が安心して働けていることが、すべての土台だと思うんです。社員が前向きに働いてくれたら、いい仕事ができる。結果としてお客様にも喜んでいただけるし、会社の業績にもつながる。順番としては、まず社員なんですよね。
現場出身の社長だからこそ、そう思えるのかもしれませんね。
そうかもしれないですね。僕自身、現場でつらい思いもたくさんしましたから。だからこそ、社員がつまずきそうなときに、手を差し伸べられる会社でありたいと思うんです。
距離が近くて、ちゃんと見てくれる社長がいるって、働く側からするとすごく安心できそうです。
ありがとう。結局ね、人って「この人のためならがんばれる」って思えると、仕事がぐっと面白くなるんですよ。だから僕は、社員ひとりひとりとちゃんと向き合うことを、これからも大事にしていきたいですね。
学生に伝えたい“悩み抜く力”
いろいろなお話を聞いてきて思ったんですが……社長って、すごく人の変化に目を向けてるというか、見てくれてる感じがします。
そうですか?嬉しいなあ。でも、僕はただ「人って、変わっていくもんだ」と思ってるだけかもしれません。だから、今の状態だけを見て「この人はこうだ」とは、あまり決めつけたくないんです。
その言葉、なんだかホッとします。私、この前カナダに語学研修に行ったんですけど、自信があったはずの英語が全然通じなくて……最初の1週間くらい、ほとんど話せなかったんです。
それはきつかったでしょう。でも、そこからどうしたんですか?
悔しくて、「このまま帰りたくない」って思ったんです。それで、ホストファミリーにちゃんと自分の思ってることを伝えようって決めて。怖かったけど、自分の言葉で「私はこう思ってる」って話したら、そこから関係が少しずつ変わっていって。最後の1週間は、やっと“会話ができた”って実感が持てました。
それはすごい経験だ。僕もね、海外で通用する人ってどんな人だろう?って考えたことがあるんですけど、あるとき大手リゾートの代表の言葉に出会ってね。「熟考より主張」って言ってたんですよ。つまり、まずは自分の考えを口に出すことが大事だって。
それ、すごく共感します。自分の中で考えてばかりだと、何も動かないんですよね。言葉にしないと相手に届かないし、興味すら持ってもらえない。
その通り。主張って、自分勝手に話すことじゃない。「私はこう考えてる」って、まず相手に差し出すことなんです。そこから会話が始まるし、人との関係も深まっていく。若い時期にそれに気づけたのは、大きな財産になりますよ。
でも正直、就活って「これでいいのかな」ってずっと不安です。周りはどんどん決めていくし、早く動いた方がいいのかなって焦ることも多くて……。
焦る気持ちはすごく分かります。でもね、「早く決めることが正解」じゃないんですよ。むしろ、悩むってことは、それだけちゃんと向き合ってるってことじゃないですか。
社長は、悩んだときどうしてきたんですか?
僕はね、「悩んでる自分を否定しない」って決めてます。悩むって、しんどいけど、それだけ真剣だってことだから。大事なのは、「悩みながらでも、ちょっとずつ進むこと」。止まってもいいけど、絶対に“ゼロ”にはしないってことですね。
すごく心に残る言葉です。
それとね、うちの会社ではセメント化学でいう「ケイ酸カルシウム水和物」の「CSH」をもじって、Challenge、Study、Health ——つまり、「挑戦」「学び」「健康」って言葉を掲げてるんですよ。どれも当たり前のように聞こえるけど、この3つをちゃんと実践することが、人生をじわじわ支えてくれるんです。
挑戦と学びと健康……たしかに、どれが欠けても、前に進みにくいですよね。
そうなんです。だから焦らなくていい。まずは自分がちゃんと「今どうありたいか」を考えてみてください。そうすれば、その先にどう進みたいかも、きっと見えてきますから。
100年以上前に生まれた技術、高炉セメント。そして、現場での失敗や事故からの立ち上がり。江頭社長が語ってくれたのは、技術の話にとどまらず、常に「人」に向き合ってきた歩みでした。
「あと半年だけ、頑張ってみる」
「まずは名前を呼ぶところから、信頼は始まる」
「悩むのは、それだけ真剣に向き合ってる証拠」
一つひとつの言葉から、“現場を知る人”だからこそ生まれる強さを感じました。就職活動で悩む私たちにとっても、立ち止まる時間や迷う経験が、きっとこれからの力になるはずです。